鄙びた温泉街を巡る。潮風とちくわの香る街、日奈久温泉。

漫遊旅行記

鄙びた温泉を愛好する吾人は、一定数いるようである。近年でいえば、ガロ系漫画家のつげ義春氏は、わざわざそのような書籍を出版するくらいのもの。貧困旅行記つげ義春の温泉など文庫化までされたものも少なくない。かといって、鄙びた温泉に全く興味がないという人々も少ない。

日常に疲れた身体を癒すには、やはり喧騒とした都会のスーパー温泉より、地方の鄙びた温泉街がやはりそれに相応しい。身も心も慰安するためには、空間を移す必要があるに違いないのである。ふと夜の戸張が落ち、歓楽街としての風情が顔を出す。そんなとき居室の窓を開け、網戸のまま風と音に浸るのも良い。日常を忘れながら、思慮にふける時間が必要だったりするのである。

港町の温泉街。九州各地の名士が湯治した日奈久。

日奈久の街角を歩く。

さて、肥後・日奈久温泉は自由律俳人として有名な種田山頭火が愛した温泉街の一つである。山頭火は多く鄙びた温泉を句に残したりしている。いざこの場所に訪れてみると、その雰囲気の良さに街角に佇む時間に心地よさを感じるものである。温泉街ならではの余所者が逗留していることに対しての良い意味での無関心、そして時には温かく声をかけて旅行者を温かく迎えてくれるような懐の深さがある。それは絶妙な距離感が保たれた居心地の良さである。

いわゆる湯治という文化は、日本の文化の一つでもある。ここ日奈久温泉も1409年、南北朝時代に菊池氏と阿蘇氏の境界で起こった合戦で、刀傷をいやすために訪れていた武将。その子によって掘り当てられたという伝説が残っている。更に戦国武将の竜造寺氏や島津氏なども訪れ、豊臣秀吉が九州征伐のために使った街道も通る。肥後藩主細川氏は、藩営温泉として整備。こうして昭和の時代まで文字通り戦人の慰安場所としても用いられていた。

かつて蔵の立ち並んだ、日奈久の漁港。

特に心身の衰弱や傷病は、誰しも恐怖や不安に駆られるものである。そして、そうした人々の受け皿として湯治場というものが存在し続けてきた。だからこそ、人間関係もまた彼らに寄り添うもの、支えあうものであり続けているに違いない。上記での居心地の良さも、それらの起因するところも大きい。それは、これまで多くの湯治客を受け入れてきた場所ならではの温かさなのである。

街角には、山頭火の句があちらこちらに記されていた。丸木に記された句が目を引く。大正から昭和の古き良き街並みを眺めながら散策する。この温泉街に宿を借り、近隣を散策する贅沢もあるはずである。そんなときに手にするのは、フィルムカメラがとても似合っている。

「どこよりも日奈久」と呼ばれた名湯。

明治時代には、全国的に有名な温泉地の一つであった。熊本の温泉地の中では、最も古い歴史を持ってもいる。更には街道沿いの宿場町としても機能し、港湾都市としても中継地として重要な役割を担った。物流の拠点として重宝された日奈久の街。一角には花街も整備されており、歓楽街としての様相も呈していた。

昭和を感じる鏡屋旅館。カフェも併設されている。

華やいだ街であった日奈久は、今ではその面影をわずかばかり残すにとどまっている。交通の要所としての地位なども失い、少しずつ少しずつ過疎化が進んでいる地方の一つである。ただし温泉は今もとても良質である。かつて多くの人々から「どこよりも日奈久」と謳われた温泉そのものの素晴らしさは、今も昔も変わらないのである。

種田山頭火は記す「温泉はよい、ほんとうによい。ここは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、いや一生動きたくないのだが。」と。実際にこの街を歩いてみると、その謂わんとするところが手に取るようにわかる。

日奈久の温泉街をあるく。

日奈久の町並みは、一昔前の安心感を得られる。都市部と異なり、地方は時代の変化も少しばかり緩やかに感じる。一筋の川の流れでいうところ、都市部が激流であるなら、地方部は緩流である。同じ川の流れであるのに、その場所で感じる当たりの強さも異なるような感覚である。実際、町並みもその優しさや朗らかさ、緩やかさを感じるものである。

日奈久の街から見た八代平野と宇土半島。

街の裏手、山手には温泉神社がある。階段を一歩一歩登っていくと奉納用の相撲場、さらに登っていくと境内がある。そこから眺める景色は非常に素晴らしい。梅雨の時期の田んぼには、田植えを終えたばかりの田園が、瑞々しい青色を湛えていた。

フィルムカメラと鄙びた温泉街。

フィルムの描写と街歩きは非常に相性が良い。より肉眼の印象に近い描写が、思い出を色濃く残し、蘇らせてくれる。漫画家・つげ義春氏もフィルム一眼レフカメラを片手に全国の鄙びた温泉へ逃避行を繰り返していた。そこで撮られた写真は、「貧困旅行記」の中にも挿絵として度々登場する。

フィルムカメラで、見たものを残す。

フィルム写真は、より内情的な描写をしてくれる。そこで旅行先での散歩にも有益なのである。その場所で、何を感じ何を考えたのか、そこまで写真を通して思い起こさせてくれるものなのである。急にフィルム写真を撮るというのは、案外ハードルが高く感じるかもしれない。まずは「写ルンです」という最良の道具を持って、旅をしてみることを強くオススメする。その体験は、デジタルでは味わえない感動をもたらしてくれるに違いないのである。

一眼レフフィルムカメラ、ニコンF3AI Micro-Nikkor 55mm f/2.8Sで撮影した猫と街角。マニュアルフォーカスで写し取る町並みの風景も非常に面白い。突然の出会い。

CONTAX T3で撮影

コンパクトフィルムカメラのコンタックスT3で撮影。焦点距離35mmという画角が、街歩きに丁度良かったりする。カールツァイス社製のレンズが、コントラストと彩色を引き立てる。

Minolta TC-1で撮影

圧倒的な描写力に定評のあるミノルタのコンパクトフィルムカメラ、TC-1。世界最小級のコンパクトフィルムカメラは、街歩きで大活躍する。焦点距離28mmという広角で写す町並みが良い。

手仕事の街。日奈久ちくわと八代焼。

日奈久の街でとくに有名な特産品は竹輪である。明治のころより生産を始め、現在まで多くの人々に親しまれている。民藝品として竹細工も有名な場所。漁港ではあれど、すぐ裏手に山が控えていて近辺で竹が多く取れていた。その竹を用いた手仕事が発展し、特産品としての地位を確立している。

日奈久竹輪。

この地では、ちくわや薩摩揚げをあちらこちらの店舗で購入することが出来る。界隈を散歩していると、名物の日奈久ちくわの文字。出来立てを食べる贅沢を味わうことが出来る。

八代焼、上野窯。

さて、朝鮮出兵の折に渡ってきた陶工たちは九州北部に点在した。小倉藩主であった細川忠興は高名な茶人でもあった。千利休の優れた高弟は、後世にあって利休七哲と呼ばれるようになったが、その中に名を連ねる武将である。上野焼はその忠興が開窯させ、細川氏が肥後に入国した際には、その陶工の一部も肥後の各地に窯を構えた。

肥後藩主となった細川忠利は忠興の息子であり、熊本城に入った。ときに隠居していた細川忠興は、八代城に身を移すこととなった。この地、八代で御用窯として繁栄するのは想像に難い。またその後少しずつ南に移り、日奈久の地で窯が続けられている。白土象嵌とよばれる技法を完成させ、その模様は雅なものがある。ただし柳宗悦氏のいう民藝の枠組みに当てはまるものではない。

金波楼という老舗宿。国指定登録有形文化財。

この宿は明治43年創業の金波楼である。歴史ある日奈久の街、中でも一際目を引く木造三階建の建屋は圧巻。純和風旅館として現在も営業を続けている。その格式高い内装も素晴らしく美しい。また裏手に庭園があり、その緑が艶やかな木造の廊下に光る。

日奈久温泉へのアクセス

日帰り観光の場合には、観光案内所前の無料駐車場を利用するのが良い。国道沿いと立地が良く、そこから街中や海を散策しやすい。トイレも併設されている。

■日奈久温泉観光案内所

■場所:熊本県八代市日奈久中町516

鄙びた温泉街を巡る。杖立温泉。
虜にする、甘美な色彩。
このコラムの筆者
ZINEえぬたな

"古典は常に新しき火種"
をモットーとして、残すべき「価値」を次世代へ継承。

個人で編集するZINEをウェブ上で運営。「えぬたな」は一つ一つの記事を読み切りとして編集。自らの写真と文章で、ヒトの思いを伝え、世の中の良いモノ、残すべきコトを紹介。

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