『大航海時代の謎』西洋船乗りの栄養不足と日本船乗りの生食と発酵食品による健康管理の秘密

食と健康

大航海時代(15世紀末~18世紀初頭)は、世界中の海が交易と冒険の舞台として躍動した時代。ヨーロッパの国々は新世界やアジアへの航路を切り拓いていく中で、栄養不足という予期せぬ難題に直面し、多くの船員が次々と命を落とす事態に見舞われていました。一方で、日本船乗りたちは、古来より培われた独自の食文化と先進的な保存技術を背景に、船上での健康を維持しながら活動することが出来たのです。本記事では、西洋船乗りの栄養不足の背景と日本船乗りの食生活の秘密を紐解いていきます。

大航海時代の遠洋航海という過酷な舞台

大航海時代の港町

大航海時代の航海は、現代の技術では考えられないほど過酷で危険を伴うものでした。例えば、マゼランの世界一周航海では、5隻の船と約270人の乗組員で出発しましたが、最終的にスペインに帰還できたのはわずか18人、すなわち生存率は約6~7%に過ぎなかったのです。一方、沿岸沿いにアフリカを南下して喜望峰を発見するバルトロメウ・ディアスの航海は規模が小さく、生存率は非常に高く、ほぼ100%に近かったと考えられます。

また、クリストファー・コロンブスの航海は、初回の出航では比較的高い生存率を示したものの、後の航海では航路の長さや環境の厳しさ、現地との衝突などによって、大きな犠牲が出ることになりました。全体として、世界一周などの長期航海においては、乗組員が生き延びる可能性は極めて低く、特にマゼランのような壮大な挑戦では生存率が10%を大きく下回るという現実があったのです。

ジェームズ・リンドが1753年に発表した『A Treatise of the Scurvy』以前、ヨーロッパでは壊血病の原因がビタミンCの不足であるという認識はほとんどなく、特に遠洋における船上の食生活は致命的なまでに偏っていました。彼はスコットランド出身の医師で、現代の臨床試験の先駆者です。特にイギリス海軍の食生活改革に大きな影響を与えた人物でもあります。

ヨーロッパの冒険と栄養不足の悲劇

水平線を見つめる船長

15世紀末、ポルトガルやスペインをはじめとするヨーロッパ諸国は、未知の海域へと漕ぎ出し、香辛料や金銀財宝を求める大航海時代を迎えました。しかし、これらの航海は未知なる世界への冒険としての過酷さがあっただけでなく、船内での生活環境が極めて劣悪であったことで更に凄惨なものでした。当時の船員は囚人や強制徴募の水兵が動員されるほど、その担い手が少なかったのです。当時は船乗りになることは過酷で恐ろしい世界であることも広く認識されていました。

保存食中心の生活: 特に長期間の遠洋航海において、新鮮な食材を確保するのは困難でした。そのため、塩漬け肉、乾燥ビスケット(シップビスケット)、硬いパン、ラム酒など、保存が効く食品に頼らざるを得ませんでした。これらの食品は、加工や長期保存の過程でビタミンCやビタミンB1といった栄養素が大幅に失われ、船員たちは知らず知らずのうちに栄養不足の原因となっていたのです。

壊血病と脚気――見えない敵との闘い

ヨーロッパ船員たちの健康を蝕んだ栄養不足は、特に狭い船室での過酷な労働環境やストレスと相まって、多くの感染症の原因となりました。そうした環境下では、遠洋航海そのものが命がけの挑戦。特に長期のビタミン不足は人間にとって致命的な環境でもあります。海に出てしまえば、生きて帰ることも難しい世界。そして、主に以下の病気は、大航海時代において船長の悩みの種となりました。

ちなみに脚気に関しては、西欧の船乗りが主食としていた豆類や乾パンなどによってビタミンB1の摂取を行うことが出来ます。この点においては、ビタミンCの欠乏における壊血病の方が問題になるものでした。特に全粒粉のビスケットなどには豊富なビタミンB1が含まれており、これらを摂取することが出来ていれば、多くの場合、脚気が問題にはなりません。

しかし、長期の航海で食糧の偏りが生まれた場合、脚気が猛威を振るうことになるのです。またビタミンB1が不足しておこるものに、西洋人に多くみられるウェルニッケ脳症とよばれる疾患もあります。アルコールの過剰摂取によるビタミンB1の吸収機能が阻害されたり、そもそも栄養の偏りなどが誘因とされています。この場合、大航海時代で船乗りが愛飲していたラム酒の影響は大きいものと思われます。

  • 壊血病(Scurvy):
    ビタミンCの欠乏により、体内でのコラーゲン合成が阻害され、歯茎からの出血や骨格・皮膚の脆弱化、免疫力の低下などを引き起こしました。実際、遠洋航海においては壊血病が猛威を振るい、数多くの船員が命を落としています。ジェームズ・リンドの実験でシトラス類の効果が証明されるまで、ヨーロッパ海軍はこの病と壮絶な戦いを強いられていました。
  • 脚気(Beriberi):
    ビタミンB1(チアミン)の不足は、神経障害や筋肉の衰弱を引き起こしました。精製された穀物を主食とする食生活は、微量栄養素の不足を招き、船員たちは体力の低下や運動機能の障害に苦しむこととなりました。
  • ウェルニッケ脳症(Wernicke’s encephalopathy):
    大航海時代、船乗りは公式にラム酒を支給されるほどその摂取が常態化していました。結果、必須のビタミンB1(チアミン)が極端に不足し、記憶障害や運動失調を引き起こすウェルニッケ脳症という深刻な神経障害が発生することもありました。

森鴎外の脚気菌説が招いた陸軍悲劇

ちなみに脚気がビタミンB1不足であると判明するまで、明治時代初期から大正時代までも、この疾病で多くの人々を悩ませていました。旧日本海軍(および陸軍)では、長期航海や戦時下における食糧不足と偏った食事が原因で脚気が大流行しました。特に、1870年代以降、旧日本軍では白米中心の兵食が続いた結果、日清戦争(1877~1878年)や日露戦争(1904~1905年)の時期に大量の兵士が脚気で苦しみ、甚大な犠牲が出たとされています。

森鴎外が留学したベルリン、舞姫

その後、ビタミンB1の欠乏が脚気の原因であることが明らかになり、栄養改善策が講じられることで戦後にはほぼ根絶されました。しかし、当時の医学においては原因が解明されていませんでした。ドイツに留学していた陸軍の医官としても知られる森鴎外こと森林太郎は、この脚気の原因を細菌感染症であるといういわゆる「脚気菌説」で説明し、ビタミンB1欠乏説を否定してしまいます。

その結果、彼の影響下では白米中心の兵食が変更されず、必要な栄養素(ビタミンB1)を十分に補えないまま戦闘に臨むことになりました。これが、日清戦争や日露戦争において、陸軍で多数の兵士が脚気で亡くなる一因となりました。一方、海軍では高木兼寛らが主導し、洋食や麦飯(米と麦を混ぜた食事)を採用することで、栄養バランスを改善し脚気の発生を大幅に抑制できたのです。つまり、陸軍において脚気の原因を細菌と誤認したことが、兵食改革の正しい方向性を見誤らせ、結果として多くの兵士命を奪う悲劇を招いたともされています。

西洋における大航海時代の栄養革命

日本の発酵食品、納豆

西洋において、船上での新鮮な食材の確保や、保存技術の向上(例えば、発酵食品や乾燥方法の改良)が進むことで、乗組員たちはよりバランスのとれた栄養摂取が可能になり、長期間の航海でも健康を維持できるようになりました。この栄養革命は、健康状態の改善に留まらず、航海技術や医療の発展、そして新たな交易路や植民地拡大の実現という大きな歴史的変革を後押しする原動力となりました。結果として、ヨーロッパの大国は、航海の成功を通じて世界の地理的認識を根底から覆し、グローバルな影響力を強めることになったのです。

シトラス類の発見とその効果

遠洋航海における壊血病の猛威を前に、ついに転機が訪れます。18世紀中頃、スコットランドの医師ジェームズ・リンドが実施した実験によって、シトラス類が壊血病予防に効果的であることを発見しました。彼の報告は、その後の海軍における食生活の見直しと、シトラスの積極的な活用へと繋がりました。

一説によれば、当初はシトラス類の保存が難しいと考えられていました。しかし、後に工夫された保管方法や、現地での調達が可能になったことで、船上に常備されるようになり、多くの命が救われたのだと言われています。

保存食の改良と実験的取り組み

また、ヨーロッパ各国では保存食の改良にも力が注がれました。航海中に失われがちな栄養素を補うため、塩漬け肉の製法の改良や、乾燥食品の栄養強化に関する実験が行われ、徐々に船上での栄養状態改善に取り組む動きが見られるようになりました。しかし、これらの努力が本格的に実を結ぶのは、リンドの実験の後のことです。

日本船乗りの食生活の秘密と独自の知恵

日本の伝統的な食事

一方、日本では、古くから自然の恵みを活かした食文化が育まれていました。漁業が盛んな日本では、魚介類、海藻、野菜、そして発酵食品(味噌、醤油、漬物など)が日常的に利用され、栄養バランスの取れた食生活が実現されていました。このような日本船乗りの食生活の秘密は、豊かな海産物や海藻、発酵食品を活用する独自の知恵にありました。

釣れた魚を船上で調理する。沿岸への定期的な寄港や交易で新鮮な食材を補給し、魚の干物や漬物、味噌などの伝統的な保存技術を駆使する。このようにしながら長期航海中でも栄養不足や病気を防ぐ工夫がなされていました。これらの知恵は、現代の健康な食生活にも影響を与え続けています。

多様な食材とバランスの取れた食文化

海苔で巻かれた生の海鮮、巻きずし

また、このような日本の伝統的な発酵技術は、今日の健康志向の食文化にも大きな影響を与えています。そして船上での厳しい環境下でも、発酵食品のおかげで栄養価が保たれた食事が摂られていました。更には知ってか知らずか、刺身など船上における魚の生食によって、十分にビタミンを摂取することが出来ていたのです。

  • 魚介類と海藻: 新鮮な魚はもちろん、昆布やわかめといった海藻類も、微量ながらビタミンやミネラルを補う重要な役割を果たしていました。
  • 発酵食品の妙技: 発酵によって保存性が向上し、栄養素の吸収率も高められるため、長期間の保存が可能なだけでなく、味わい深い食事を提供することができました。

柔軟な補給戦略と沿岸交易の活用

さらに、日本の海上活動は、沿岸部への頻繁な寄港を可能にする航路戦略によって支えられていました。定期的に新鮮な野菜や魚介類を補給することで、船上の食事は単なる保存食に頼る必要がなく、栄養不足を防ぐことができたのです。

大航海時代において、日本人は海外交易の一環として東南アジア各地に進出していました。16世紀後半から17世紀にかけて、日本の商人や船乗りは、特にマニラとの交易を盛んに行い、フィリピンを経由した国際交流を築いていました。また、倭寇と呼ばれる海賊活動を通じて、マラッカやベトナム沿岸などにもその痕跡が見られ、これらの地域で日本人が現地との交易や文化交流に関与していたことが記録されています。当時の日本人はこのような海外における情報網を通じて、世界情勢に通じていました。

マニラ交易のエピソード: 16世紀後半、日本人商人はスペイン統治下のマニラとの交易に乗り出し、新鮮な食材や香辛料、さらには保存技術の情報交換を行いました。これにより、船上生活における栄養管理だけでなく、国際交流の面でも大きな成果を上げています。マニラとの交易では、単に物資のやり取りだけでなく、調理法や保存技術、果物や野菜の取り扱い方法などが伝播され、日本独自の食文化がさらに洗練されたと伝えられています。

倭寇と海上での生存戦略

また、日本では、14世紀から16世紀にかけて活動した「倭寇」と呼ばれる海賊集団も、ある意味で船上での食生活の工夫を体現していました。彼らは、沿岸で略奪した食糧や、現地で調達した新鮮な食材を上手く活用し、長期間の海上生活を維持していたと言われます。

倭寇の多面的な役割: 倭寇は単なる海賊としてだけでなく、沿岸部の交易を活性化させる存在としても評価されることがあります。彼らが持ち帰った異国の食材や調理法は、後に日本の食文化に影響を与えたエピソードも残っています。

海上での文化交流と技術の融合

大航海時代における文化と技術、進化と融合

海上における文化と技術は、大航海時代において異なる文明が接触し、更に融合する貴重な機会となりました。船乗り、商人、探検家たちは、交易を通じて食文化、宗教、言語、芸術などを相互に伝え合い、各地域の知識や技術が革新を遂げています。例えば、航海術、造船技術、天文学、地図製作など、技術は融合して発展しました。これにより、大航海時代は物資の交換や貿易を超え、文化的価値観のグローバルなネットワークとして確立され、情報伝播の基盤となりました。

西洋と日本の出会い――南蛮貿易の影響

16世紀以降、ヨーロッパの探検家や宣教師が日本に渡来すると、両者の食文化や保存技術の違いが鮮明に浮かび上がりました。当時の宣教師たちは、日本人が船上でも比較的健康を保ち、保存食だけでなく新鮮な食材を上手く利用していることに驚嘆しました。これは、厳しい海上生活においても、食の工夫が生命線となっていることを物語っています。また南蛮貿易を通じ、ヨーロッパ側にも発酵食品や野菜の新たな保存法が伝わり、次第に改善策として取り入れられるようになりました。

私掠海賊と商人―海上で交わる二つの世界

大航海時代に暗躍した私掠海賊

ヨーロッパでは、国家の許可を得た私掠海賊が、しばしば敵国の船舶を襲撃する一方で、交易路の安全確保に一役買っていました。例えば、イングランドの著名な私掠海賊であったフランシス・ドレイクは、スペイン船からの戦利品を獲得し、国威を高めると同時に、自国の海上戦略の成功を体現しました。しかし、私掠行為に依存する生活は、栄養管理の面では西洋全体に共通する課題からは逃れられなかったのです。対照的に、日本の海上活動は、倭寇や商人が柔軟な補給戦略を活用し、沿岸での定期的な補給により健康管理を徹底していたことが、長期の航海を可能にしていました。

船上生活の知恵がもたらす現代への教訓

船上生活の知恵は、過酷な環境下で乗組員が工夫を重ね、持続可能な生活を築くために培われたものです。たとえば、限られた食料や水資源の中で栄養バランスを保つ方法、保存食の工夫、また船内での衛生管理や調理方法など、数々の実践的な知恵が存在しました。伝統的な船上生活の工夫は、限られた条件下で生き抜くための知恵に支えられたものだったのです。

過去から学ぶ「食」の重要性

刺身、発酵食品を組み合わせる食事

大航海時代の西洋船乗りたちは、知識不足に伴った栄養不足により多くの命を落としました。しかし、こうした悲劇は、後の食生活改善への大きな転機となるものでした。ジェームズ・リンドの実験は、医療と栄養学における革命を引き起こし、海軍全体の健康管理の改善へとつながったのです。現代においても、食生活のバランスや栄養素の重要性は、あらゆる分野で再認識されています。

日本船乗りの知恵と伝統技術の継承

魚介類の優れた栄養

日本船乗りたちが実践してきた、魚介類や海藻、発酵食品を中心としたバランスの良い食生活による営み。それは、決して偶然なものでは無く、長い年月をかけた試行錯誤と経験の結果です。これらの知恵と常識は、今日の日本の食文化や健康志向にも受け継がれており、伝統と現代技術が融合する好例となっています。

現代の発酵食品ブームは、かつての船上保存食の知恵に根ざしており、健康食品として国内外で高い評価を受けています。過去の知恵が現代に生かされる好例です。

国際交流と技術革新の両輪

大航海時代がもたらしたのは、遠洋航海による苦難と栄光だけでなく、国際的な知恵や技術が交流することによる恩恵でした。西洋と日本、さらにはアジア各国との交流を通じて、保存技術や食文化が互いに影響し合い、現代の国際物流や栄養管理の基盤が築かれたのです。今日のグローバルな社会においても、各国の伝統技術と先端科学の融合は、未来への重要な教訓を秘めています。

現代へのメッセージと未来への展望

大航海時代の歴史は、ただ過去の冒険譚として語られるだけでなく、現代の我々にとっても多くの教訓を提供するものです。西洋船乗りたちが栄養不足に苦しんだ理由、そしてそれに対する改善策が後の医療・栄養学の発展を促したことは、技術革新と食生活の見直しが如何に人命を救うのかを示唆します。一方、日本船乗りの柔軟な補給戦略と伝統的な保存技術は、環境に適応する知恵の重要性を物語っており、現代の物流や健康管理、さらには食文化の多様性の維持に大いに役立つものです。

今日、私たちはインターネットや先端科学の力を借り、グローバルな食糧供給体制や栄養管理システムを整えていますが、その根底には大航海時代の先人たちの知恵と苦闘が必ず存在します。船上での生死を分かつ「食」の大切さへの学びの価値は、現代社会においても変わることはありません。そして、このような過去の教訓は今なお輝きを放っています。

大航海時代における西洋船乗りの栄養不足は、保存食に頼った極限状態の食生活と、それに伴う壊血病や脚気といった致命的な病の影響の大きな要因でした。これに対して、日本船乗りたちは、魚介類、海藻、発酵食品など、自然の恵みを生かしたバランスの良い食生活と、柔軟な補給戦略により、長期航海でも健康を保つことに成功していました。また、私掠海賊や倭寇といった海上での多様な活動も、それぞれの国が置かれた環境下で最適な生存戦略を追求した結果であり、単なる「海賊行為」だけでなく、文化交流や技術革新の一翼を担っていたことが分かります。

ジェームズ・リンドの実験、南蛮貿易やマニラ交易を通じた食文化の交流、さらには各国の独自の保存技術や補給戦略は、現代における国際物流や栄養管理の基盤としても重要な示唆を与えてくれるところです。過酷な環境下での生存を賭けた船上生活の記録は、私たちに「食」の本当の大切さ、文化の多様性、そして技術革新の意義を改めて認識させる貴重な教材となるものです。

このコラムの筆者
ZINEえぬたな

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