SHARPの水なし自動調理鍋「ヘルシオ ホットクック」は人間の根源ともいえる行為を、より満たすものであるといえる。作業の効率化はもとより、ご飯の美味しさをより味わうことが出来るようになり、更には濃厚な時間を過ごすことが出来るようになる。まさに現代の神器というに相応しい革新家電である。
毎日の手料理にはとても労力を要する。家庭料理において、来る日も来る日も手の込んだ料理を作り、または振る舞うのは非常に骨が折れる。それが多忙を極める最中の出来事だとすれば尚更だ。だからと言って、人間の生きる上で最も重要な「食べる」という行為を無碍に出来る筈もない。誰かが誰かの為を思って提供する食事。それはこれまでもこれからも、いつも失われてはならない価値を宿し続けている。
ホットクックは、生活を一新する革命である。
米を炊くという行為一つをとってみても、近年になるまで苦労の絶えないものであった。水を汲み、それを運び、火をおこし、大切な米を大切な水で研ぎ、窯に火を入れ、火の番をし、そうして食卓に並べ、口に入れる。一昔前までの長い年月を、多くの人々がその辛苦を厭わずして過ごしてきた。そんな生活を一変させ、劇的にその質を向上させたのが、炊飯器の誕生だった。
その存在はかつて偉大だった。1950年代の白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の三種の神器についで、神器と呼ばれた事もあるほど人々の生活をより豊かなものへと導く水先案内人でもあったのだ。しかし、炊飯器は一体何がそこまで革命的であったのであろうか。
よくよく考えを巡らせてみると、現代においても、米を炊くという行為には、一昔前の釜、現代の炊飯器でも同様に共通する手間がある。つまり、いずれにおいても下ごしらえが必要で、最後の「火にかける」という部分だけが炊飯器によって自動化されたのである。
勿論、現在にあっても炊飯器ではなくとも米が炊けない訳では無いにも関わらず、それを持たない生活は今更考えられないという人々も多い筈である。このように米を「火にかけ、保温する。」という極々シンプルな機能が齎す恩恵は、神器とさえ讃え称される事もある程に計り知れない。そして現代の生活者にあっても、今なお炊飯器を持たないという選択肢を多く失わせるに至っている。
シャープのホットクックは煮る、焼く、蒸すを自動化する家電。つまり上記と同様に「火にかけ、保温する。」という最後の手順を省く家電である。
使用感、満足感が好い。食材の旨味を凝縮。
使ってみるとその生活感は一新するほどの実力。その利便性は圧倒的に素晴らしい。炊飯器と同様、これが無いという生活が考えられなくなるほどのもの。まさに炊飯器という神器が登場した時代を彷彿とさせる。そもそも一部界隈では、炊飯器で料理するという方法が流行った時期があり、今でも炊飯器を数台運用しながら自炊する人々も多い。
寧ろ、そうした潮流に乗った製品であるともいえるのだが、ホットクックの素晴らしいところは、その料理に合わせた火加減の調整。自動かき混ぜ。無水調理。予約調理や外出先からの操作など従来の炊飯器には行えない副菜調理に適した点にある。
しかも美味しさに妥協がない。無水調理は野菜元来の味わい深さ(だし)を実感できるほか、肉の旨味なども全て料理に反映される。更にはその味の染み込み、煮込んだ時の食材の柔らかさには脱帽する。鳥の手羽元などを入れてしまえば、ホロホロと肉が口の中で解け、更に骨から肉や関節などがつるりと取れてしまう。以前の生活と比べてみても、その食べやすさは格別だ。更に胸肉の柔らかさやジューシーさに感激する。
ホットクックの使用は、料理の姿勢に対する妥協などでは断じてなく、これは明らかに自炊の質を向上するもので、その効率も準ずるもの。
外出後に料理をする場合には、時間を気にしつつ、時には外食で済ませてしまう状況ですら、以後は家庭料理の美味しさに浸ることが出来るようになる。これは明らかに生活の豊かさに繋がっている。
一人暮らしや共働き家庭は勿論のこと、専業主婦にとっても重要なポイントだ。料理に対する労力や時間を、その他の労働につなげたり、家族と面して接する時間を増やすことが出来たり、そうして有意義な時間に割り振ることが出来る。これは精神のゆとりの確保なのである。それが豊かさに繋がり、家族全体の安息や平穏な生活に良き影響を及ぼす事この上ない。
人は切羽詰まり、余裕がない場合には、時に周囲に対しても良からぬ影響を少なからず与える。更には一人びとりの余裕の無さが社会全体に及ぼす悪影響は想像に易いというものである。ある意味この製品はそうした問題に対する一助になる可能性すらある。社会的な意義のある現代の神器と見ることもできよう。
ホットクックの意義ある内食。外食や中食との違い。
さて、内食を自動化するなら外食及び中食でも良いのではないか。そのような考え方も可能である。しかし私は自炊環境を自動化するという事にホットクックの意義を置きたい。
無論、外食や中食は美味しさという点で代替が可能である。時間的な効率でいえば、こうした方法は当然選択肢に入るであろうし、また時には外食で食べる喜びなどに浸りたい。
ただ食事というものの本質を考えてみると、基本に据えられるべきは、その人を想って作るという重要な観点。配偶者や子供などを含めて、家庭の事を考えるという事はある意味、彼らの人生規模の視点に立った思いやりが必要なのである。そして彼らに対する責任を負っている。
外食や中食においても昨今、健康志向が求められているとはいえ、栄養素、数学的な観点だけではなく、素材から考えて作るという行為は長期的な視点に依拠する家庭料理に求められる姿勢の一つではないだろうか。
「一汁一菜でよい」を提唱する土井善晴氏は云う。家族がなかなか揃って食卓を囲むことの出来る時代は少しずつ変わりつつある。その中で、作った人の思いを感じられる場所を作ること。子供が一人で食べるにしても、お盆の中に居場所を作ることが出来ると。そんな素晴らしい家庭料理は、手の込んだ一汁三菜である必要はなく、ごはんとお汁だけで十分に完成するのである。
外食では贅沢な時間を、家庭料理では思いやりを。だとすれば、ホットクックではそのどちらをも両立可能になるという革新的家電なのである。
レビュー:ホットクックは、家庭生活を豊かにする。
どのような人が、よりこの製品の恩恵に授かるであろうか。それはきっと、料理をするという事に対して苦手意識を持つ人ではないだろうか。その意識は、必ずしも料理が不味いという事と同義ではない。料理に対するポジティブな感情がなくなり、作らなければならないという義務感からネガティブな感情に陥ってしまう事もある。
ホットクックであれば、付属のレシピ通りに材料などを準備し、更にその手順に従うだけ。そこには切り方から鍋への食材の投入順など時系列的で丁寧に記載されている。何も考えずとも、最後にはスイッチを押すだけ。ただただそれだけで、分量が多かったとしても自動的に調理時間を伸ばしてくれるという素晴らしさ。
特に予約調理の機能は特筆すべき機能。勿論炊飯器では当たり前の機能ではあれど、料理に応用することで「ここまで便利だったか」と感嘆するほど。これにより決まった時間にご飯とおかずが用意可能となる。時間のある時を見計らって準備し、出来立てを提供することが出来るというのは喜ばしい事である。
当然であれど、最大容量を活用して多めに作っておくことで、残った分を常備菜として活用することが出来る。そうして残った分は、再加熱する方法を取ると更にこの調理家電を円滑に運用することが可能となる。窯部分だけ取り外しが可能で、ミトンいらずの取っ手が付いている。夏場には、冷蔵庫へそのまま移動させるだけで済むのである。
ホットクックの特に優れているところ
これまでの火の番という手間が省けるだけで、生活の質は劇的に向上するのである。可能な限り時間のかかる煮込み料理は避けていた部分も、ホットクックによっていつでも煮込み料理を堪能することが出来るようになった。
多少時間のかかる料理はホットクックを用い、時間のかからない料理はこれまで通りコンロで調理する。そうすることで拘束時間は短縮されながらも、食卓の彩りは豊かになるのだった。そして食欲も向上、健全な食生活を保つ事が容易になった。
ホットクックにおいては料理をより美味しく、更には軽快に作ることが出来る。であるから微塵切りなど丁寧で手の込んだ家庭料理というよりは、どちらかといえば、ぶつ切り豪快で手間を省いた家庭料理である方が向いている気がする。
無水であるから、野菜は小さくなる。それにとても柔らかく調理されるのだ。ある程度、形ある切り方をする事によって、食材それぞれの食感をより愉しむことが出来るように感じる。むしろその方が良いのだ。ある程度のコツさえ掴んでしまえば、必ずしもレシピ通りに運用しなくても良いという事でもある。
ところでレシピについては、既存のものだけでなくWI-FI機能が付いている製品であれば、追加することが可能になっている。アプリを用いてスマホなどとの連携を行う事で、外出先から予約調理時間の変更や開始なども行うことが出来るようになるのだから便利だ。
ホットクックの苦手とするところ
上記のように、導入後のメリットは計り知れないものがあるが、敢えてデメリットを考えてみても大したものはないように感じる。いくつか挙げてみると、❶比較的場所をとる点。❷一見するところ高価である点。❸カラーバリエーションが少ない点。という事くらいであろうか。いずれも初期段階で気になる点である。しかし導入後の使用感は抜群で、ほぼ毎日使用する事を考えれば、そのコストパフォーマンスは高い。
大きさについては、1.6㍑仕様のものと2.4㍑仕様のものとが現時点ではあるが、個人的には、2.4㍑のものを購入し満足を得ている。その為、これをおすすめしたい。大は小を兼ねる。もしかすると1.6㍑では容量不足に感じる事も出てくるのかもしれない。
ここまでツラツラと述べてきたのであるが、このような今までにない革新的家電は、これまでの常識に囚われていては判断が難しい。最終的には購入し使用してみない事には、その真価が実感できないもの。いやむしろ使ってみれば分かるというものである。