CanonのEOS 5D mark Ⅳは、実質的な意味において旗艦機としての実力を十分に備えている。その均整のとれた性能を高く評価されていたEOS5D3から進化する形で誕生。キヤノンユーザーにとっては、これを手にすると自分の写真に対する言い訳が出来なくなる。そんな素晴らしく完成されたカメラで、同時に撮れる写真に対する喜びも大きくなるものである。
更にEOS5D4は、フィルム時代から続く一眼レフの系譜を引き継いだカメラとして、これからも長く人々から認知されるであろう製品。比較的長い歴史と成熟した技術を持ったカメラを用いて、いざ撮影に挑めるという贅沢に浸る。彼と共に歩む時間、それは無意識のうちに道具としての愛着へと導かれていくものだった。
一眼レフの歴史を背負ったカメラとしての完成形。
EOS5D系といえば、ハイエンドなフルサイズデジタル一眼レフカメラ。更なる上位機種としては、同社のカメラ製品においてプロ機として位置づけられているEOS1D系が存在。それでも基本的には高い連射性能などを必要としない分野の場合、EOS5D系のほうを多くのプロが愛用しているようである。
しかしながら、最早これまで主流であった一眼レフ。ミラーとペンタプリズムを用いたカメラの役割は、ここに終焉を迎えようとしている。フィルムからデジタルへと写真の形も大きく変遷を遂げたが、その二つの間を跨いで用いられたこの方式は、きっとこれからも忘れられることのない価値を持ち続けるはずである。
実像を捉えて撮影するという一眼レフカメラの最後期でありながら、デジタル一眼レフとしても晩年を飾るカメラ。まさに5D4にはフィナーレを飾る素質があり、完成度の高い信頼におけるカメラ。もちろん一眼レフカメラの完成形として、殿堂入りも間違いない。
歴史の転換点に君臨する名機。5D mark4。
キヤノンEOS5D4が発売されたのは、2016年末の事。この年、天皇陛下のご心情のご表明によって生前退位に向けての議論が活発化。震度7程度の揺れが2度も起こる熊本地震の発生など記憶に深い出来事も多く、新たな息吹を予感させるような世相であった。約2年後には、キヤノン初のフルサイズミラーレス一眼のEOS Rが発売され、令和へと改元。折しも時代の転換期となった。
デジタルカメラ市場の規模において、カメラの役割の大きさは次第に、そして急速に減退している。写真を撮る機械や道具という枠組みで見れば、スマートフォンの進化は著しい。常に持ち歩く必需品としても写真との相性は抜群に良いのである。ただし撮影する行為を鑑みれば、未だ一眼カメラにも役割は見出せる。
ファインダーを覗き、シャッターフィールを確かめ、眼前の光景と対話する。少しずつ被写体が元来備えた魅力を切り取ってゆく。その精神のポジティブさが、写真に多く反映されていく。過程を通して良き出会いを齎してくれる。それはきっとカメラだからこそ可能とする領分なのであろう。5D4は更にグリップ感も良く、握りやすい。たとえ多少重くとも指の引っかかりが良く、片手で持ち歩くことも出来る。カメラが写真を撮る為だけの「道具」として存在する意味を問い直す。
勿論、写真を表現物とするにしても、シャッター速度や絞り値やISO感度を変更し、そうして撮影者の意図するところを表現できる。それもまた重要な要素であり続けるはずである。5D4は常用ISO感度100-32000(拡張ISO感度H2:102400)を実現するセンサー、画像処理エンジンにはキヤノン開発のDIGIC6+を搭載している。
特にEOS5D4ならば、フルサイズという比較的広いセンサーサイズが、光を思う存分に受け止めてくれる。現実の光から得る事の出来る情報量が多いのは明らか。そこから得られる表現力は、繊細でありながら力強い。写し取った写真が、現実に由来する世界の美しさを如実に語る。空気感さえも映し出し、見た者の心を捉えて離さない。それは記憶に焼き付いた心の情景だ。
圧倒的な高画素数時代へ足を踏み入れ始めたカメラ。約3040万画素というのは、とても大きな出力へも十二分に対応できる。大型4Kテレビに映し出したときの素晴らしく精細な美しさは、それを撮影した時の感動を再現してくれるものである。当然ながら、それ以上の大きさへの出力とプリントにも対応できる余裕。それが写真をプリントとして完成させるという最高の醍醐味へ導いてくれるのである。
それに画素数は更に圧倒的な製品も登場しているが、それ以上になるとRAW現像時においてはPCへの負荷も考慮せざるを得なくなる。また無限に広がりゆく画素数競争よりも、センサーとの兼ね合いで画素ピッチを広げ、受光素子に少しでも現実の光の美しさを取り込んでほしいという需要。そんな風に相反する「画素数とセンサーサイズ」のバランスを考え尽くされたカメラなのである。
レフ機として、最高峰の使い勝手。
今やミラーボックスを備え、肉眼で世界を捉えながら撮影するという一眼レフカメラは、少しずつ時代の流れによって淘汰されんとしている。これもまたフィルムカメラなどと同様、選択肢が失われゆく過程。その過渡期でもある。それでもEOS5D4は、最新鋭レフ機として価値を保ち続ける。
勿論ミラーレスカメラの優れた点は、ファインダー内で想定する写真イメージが結実するという部分。対してレフ機の優れた点は、ファインダー内で現実世界の美しさを肉眼でつぶさに観察しながら撮影できるという部分。双方に価値が宿っているような気がしている。いずれにおいても、その技術による恩恵と魅力あるカメラである事は間違いない。
ところで一眼レフというカメラは、大いに成熟した製品であると言える。特にEOS5D4などのような製品において、その完成度は非常に高い。その為、枝葉の細部に渡る部分にまで目を凝らしてようやく不満点が出てくるようなもの。根幹そのものに対する不満点は、使っていて特に思いつくことも無い。
それでも、新しいナンバーを重ねるに連れて少しずつセンサーの性能や処理ソフトの性能を向上させんとしてアップデートを繰り返してきた。そのような粗探しのようにしてようやく表出する道具としての不満や要望は、ユーザーにとっても多分に積極的なものではない。
フィルムカメラの最後期、キヤノンのEOS-1Vなどにおいても道具としての不満よりも、むしろその問題を使い手の資質に依るほうが十分な改善策と成りえた。それはまた、デジタルカメラとしてのEOS5D4にとっても同様の事のように思えるのである。
そうして限りなく性能として纏まった優秀な性能を持つ製品だからこそ、先鋭的なカメラと違ってその魅力をピンポイントに伝えるのはかえって難しい。ただし尖ってはいなくとも、裾野の広大な高き山のような存在である。アベレージヒッターとして、活躍することが何時だって期待される。そうした意味でも、そのプレッシャーに常に耐え得るカメラなのである。
5D4ならば、容易に夜景や天体撮影なども可能。高ISOでもノイズが少なく、もしあっても好ましい粒状感で済まされる。どこへ持ち歩くにも、重宝する一眼レフカメラである。中央一点でF2.8より明るいレンズの場合、低輝度限界EV-3という暗所でのAFも可能となっている。
5D mark4、プロユースを想定した安定性。
勿論、撮影に関しては申し分ない性能である。自然を撮影する際でも、信頼ある堅牢さが心の保険としても機能してくれる。とてもミラーショックが少なく、シャッター音も非常に柔らかで優しく澄んだような印象を受ける。こうしたことから、益々心地よい撮影を可能としてくれる製品だ。また必要とするならば、最速で秒間7コマの連射も行える。測距点はエクステンダー使用時にも嬉しい、全点F8対応の61点高密度レティクルAFⅡを搭載。
キヤノン社が説明するところ「新ミラー振動制御システム(モーターによるミラーアップと衝突エネルギー減衰機構)」が採用されている。その為、35mmフルサイズCMOSセンサーの約3040万画素と比較的高い描写力ながら、手持ち撮影でのブレも恐れすぎる必要が無い。そして、そのシャッター音の爽快さが撮影者を甘く誘い、没頭させてくれるものである。
ボディには高剛性、高放熱性を実現した新採用のマグネシウム合金。あらゆる隙間を埋めるようにシーリング部材が配置され、用いられない部分は隙間を極めて小さくした高精度化パーツによって、防塵防滴性能を向上させている。
更にはロータリーマグネット式の縦走りフォーカルプレーンシャッターが採用され、そのシャッター耐久は約15万回の試験をクリアしている。環境の過酷な状況下で用いられても、その性能を遺憾なく発揮できる高次元の剛性と信頼。ただそれだけで心の保険、いつだって撮影に携行する価値が生まれる。
オールドレンズをデジタル一眼レフで愉しむ。本気で遊ぶ。
オールドレンズを備えて、レフ機でピントを追い込んでいく作業が非常に面白い。より緻密な追い込みが必要なのであれば、ライブビュー撮影で十分に対応可能。ファインダーを覗き、肉眼でレンズの性能、色味やクセまでも感じることが出来る面白さ。最新鋭の一眼レフで、その個性を活かすという遊びを愉しむ。
背部のメイン液晶には、タッチパネルが搭載されている。その為、設定やライブビュー撮影などで入力操作が必要な場面においても、より直感的な操作を可能としている。その点の使い勝手の良さは、従来機よりも向上した点。
時には原点に立ち返って、マニュアルフォーカスでピントを操る。そうすると益々、被写体と対話するような感覚を伴う。その状況に没入し、より発見を深いものとする。オールドレンズとはいえ、フィルム時代には最新鋭レンズであった。そんな当時の息遣いを感じ取りながら、現代において気軽に撮影できるというのは素晴らしい体験である。
オールドレンズを用いて、見慣れた巷を歩いてみる。そうして当たり前の空間が、より新鮮なものとして蘇っていく。緊張と調和の均衡した体だからこそ、慣れ親しんだ場所でさえ初体験の坩堝と化す。何でもない光景さえも、つい切り取りたくなる。そこに宿った美しさに感じ入るとき、写真をしている意味をより肯定的に捉えることが出来る。
そしてEOS5D4にオールドレンズを装着するという贅沢を可能にしてくれる、マウントアダプターの存在は頼もしい。M42スクリューマウントとEFマウントに互換性を持たせてくれる秘密兵器。それは単なる遊びではなく、本気の遊びにまで深みを得る。オールドレンズは、表現なのであった。
オールドレンズを装着し、森の中を少しだけ散策する。空を眺めれば、雲と風の動きが分かった。曇り空に、時折晴れ間が差す。晩秋の冷たく澄んだ空気を光が劈く。草木にとっても、つかの間に喜びのひと時が訪れたように見えた。今日の良き出会いに乾杯。上記の写真はすべてM42マウントレンズのCarl Zeiss Jena Pancolar mc 80mm f1.8をボディのEOS5D4に付けて、同じ場所にて撮影。
EFレンズ群、フィルムカメラと共用する。
何とも素晴らしい事であるが、デジタルとフィルムで同じ交換レンズを用いることが出来る。レフ機であるEOSシステムのEFマウントなら、そんな贅沢が可能なのである。同社のミラーレス機においてはRFマウントが採用されているため、EFレンズを使用する為には別途マウントアダプターが必要となる。往年の名機を携える。
カメラバッグに、デジタルとフィルム両方の一眼レフカメラを入れて出かけてみる。そうすると、それらを活かした表現の幅が格段に広がる。風景やポートレートなど様々な場面で用いる事が出来るが、集合写真や記念写真などをデジタルとフィルムの双方で撮影してみるというのも好い。いずれも印刷し、場合によっては贈答する。ほんのちょっとした笑顔に嬉しくなる。
Canon EOS 5D mark Ⅳの作例
何処へ行って、何を撮っても、何ら問題にするところは無い。兎に角、無難で優秀なカメラである。光が織りなす情景、それを捉えるEOS5D4の色合いは、あの時の感動で心を魅了する。
キヤノン5D mark4の使い方と外観
EOS5D4の外観は、特段これまでと大きく変わるような部分は無い。フィルム時代からのEOSシステムのDNAをしっかりと受け継ぐ、実に正統派な外観である。そうして、しなやかな流線型ボディは何処か確実なるものとしての上質感を漂わせている。
グリップは引っかかりが良く、握りやすい。何時までも安定したカメラ操作が可能である。たとえストラップが無くとも、片手で持っている事に不安は無い。その形状は無駄を省き、そして理由がある。素晴らしく洗練された工業デザインである。
液晶の表示系統、操作系統もEOSシステムを知るものからすると、何ら支障なく撮影を開始出来る直感的なものである。非常に見やすく、扱いやすいカメラ。これまでの伝統を保守し、それで在りながら少しずつが新しい。キヤノンEOSの一眼レフとして、漸進的に進化し、埋没しない個性も感じられる。
親指オートフォーカスで、撮影を便利に。
三脚使用時など、シャッター半押しでAF開始にしてしまっているとMFに切り替えたり、AFしなおしたりと手間が増える事になる。そんなときにオススメの設定が、親指AF-ONボタンにのみAF開始を割り当てる方法である。
必要な場面でのみAF-ONを作動させ固定、右隣のAEロックボタンで露出を固定。そうすると利便性は非常に向上する。たとえ動きもの撮影でサーボAFなどを使用していても、押しっぱなしにすることで、食らいついてくれる。病みつきになる仕様。フィルム時代にはなかった、デジタル一眼レフのEOSから追加された機能。使っていて損は無い。
バックアップも確実に。デュアルスロット。
データを確実に扱いたいという需要のために設けられたデュアルカードスロット。SDメモリーカードとCFメモリカードを挿入可能。もしも片方が損傷しても片方にデータが残る。またはデータ取り込み前に消去してしまった人為的過誤の場合も同様。安心のためにバックアップしながら撮影できるのは、やはり有難い機能である。
特にシングルカードスロットでやらかしてしまいがちなのが、PC取り込みの際に抜いたメモリーカードをそのままにして撮影に出かけてしまうというもの。せっかく出かけても、悲しいかな写真が残ることがない。きっと気分はガク落ちである。
そんなときダブルカードスロットが搭載された機種ならば、一枚ずつ差し替えてのPC取り込みを徹底する事で、未然にこのような重大な失敗を予防できる。他にも鞄の中に必ず予備のメモリーカードを常備しておくこと。それから撮影に出かける際に、家の中で一枚写真を撮って機材を鞄に入れるということ等をルール化するのも良い。いろんな対策を複合することで、こうした過誤を可能な限り減らすことが出来る。
勿論、写真データの安全性や書き込みや転送の高速性を考えるならば、信頼度の高い記録媒体である必要がある。また最近ではPC側にカードスロット自体が付いていないものも多く、外付けのカードスロットに頼ることもある。その際にも同様に取り込み速度が速く、挙動の安定した製品を用いたいものである。
バッテリーの予備は必須。LP-E6およびLP-E6N使用。
EOS5D4の場合、一日の撮影行では予備バッテリーが必要である。特に冬場の寒冷地、山上などで撮影する場合は電池消耗が激しい。そんなとき確実に撮影を継続したいならば、予備バッテリーを携行していたい。
キヤノン純正のバッテリーパック。使用できるLP-E6とLP-E6Nは、仕様はほとんど変わらない。しかしLP-E6Nの場合、約10%ほど充電容量が大きくなるというメリットがある。バッテリー購入の際には偽物に注意。確実に信頼できる販売店から購入するべきである。バッテリーはグリップに装填する。
予備バッテリーは数が増えると、収納時に取り出しにくく、未使用と使用済みの使い分けも煩わしい。そんなときに便利なのが、バッテリーホルダー。未使用を表、使用済みを裏という具合に収納すると、一目瞭然で管理することが可能になる。
Canon EOS 5D mark Ⅳの主な仕様
製品名 | Canon EOS 5D mark Ⅳ |
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発売年 | 2016年 |
マウント | キヤノンEFマウント |
センサー | フルサイズCMOSセンサー |
有効画素数 | 約3040万画素 |
連続撮影速度 | 約7.0コマ/秒 |
測距点 | 61点 |
常用ISO感度 | 100-32000 |
視野率 | 100% |
大きさ | 約150.7×116.4×75.9mm |
質量 | 約890g(バッテリー、CFカード、SDメモリーカード含む) 約800g(本体のみ) |
バッテリー | LP-E6N |
生産国 | 日本製 |
備考 | ・液晶タッチパネル操作 ・SD/CFデュアルカードスロット ・4K/30Pでの動画撮影 |
レビュー:5D4は丸く納まりの良い、高性能な優等生。
カメラの性能として、写真が撮影できれば目的は達することが出来る。その為、高機能であればある程良いと言う物でも無いのであろう。道具としての使い勝手の良さが備わっているかどうかを考える。すると5D4は、卒なくどのような状況でも撮影が可能、それに失敗も少ない。そんな風に優等生なカメラであるということが出来る。
性能としても尖っている部分は特にない。革命的であるとか、先鋭的であるとか、そうした類の製品感からは対極にあるものと考えるべきだ。これまでのカメラユーザーが、特段説明書を読みふける必要すらない。これまでを踏襲した伝統的な外観、操作性は寧ろ安心感を与えてくれるもの。
革命家という存在からは程遠く、一歩一歩着実に、まるで石橋を叩いて渡るかのように歩みを進める。漸進的に改革を行う姿勢を鑑みるに、明かに保守的な製品である。キヤノンという会社が抱いたフラッグシップ、5D4に対するそのような開発姿勢は、写真文化に対する責任感と正統性を感じるものである。撮影に臨む際には、この機種さえ持ち歩いていれば何ら不足の無い信頼感は偉大。
一眼レフの最後期を飾る。後継機は、ミラーレスEOS R5。
5D4の持ち合わせる基本的なスペックは、一眼レフとして完成された機能を持ち合わせていると言っても過言ではない。画素数や画像処理エンジンの性能などについて、多く批評もされているとはいえ、写真機の価値に何ら影響を与える物ではない。一眼レフの晩年を飾る機種として、カメラの歴史に名を刻む製品として、十分に価値ある存在なのである。
以後、キヤノン伝統のEOS 5シリーズの系譜を引き継いでいくのは、ミラーレスシステムのEOS R5シリーズ。その様な中で5D4は、丁度時代の変わり目に位置する最後期の一眼レフカメラともなっている。そうするとフィルム時代から連綿と続いてきたミラーとペンタプリズムを用いた技術を受け継ぐ、レフ機の集大成としての価値も併せ持っている事になろうか。
それに5D4は静にも動にも満足に対応でき、何かと重宝するカメラである。またキヤノンユーザーの場合、この機種さえ持っておけばデジタル一眼レフという選択肢内において、それ以上のものを手に入れんとする野心も程々に失われる。そのような意味においては、一度購入してしまえばカメラを何度も買い換える必要に迫られることも無くなる。そんな利点もある製品だ。
ちなみに後継のキヤノンの正統派なミラーレス一眼機、EOS R5やR6にはEOS5Dシリーズなどの上位機種から受け継がれた操作系が搭載され、慣れ親しんだ操作で快適な撮影ができるのだと謳われている。この様な事実に鑑みれば、これらのミラーレス機は革新的でありながら、レンズ交換式カメラとして保守的な思想も堅持している。こうした事実もまた、同社のカメラ文化に対する責任感の表れと見ることも出来ようか。
EOS 5D mark Ⅳの苦手とするところ
5D4は一眼レフとして、特段文句のない製品である。しかしながらミラーレス機などと比べれば、バッテリーやSDカードを含めて約890gと比較的に重く大きいところが挙げられる。ただしグリップの感触も良く、掴みやすいことなどを考慮すると、その重さはダイレクトに感じにくい。
またバッテリーの持ちは実用的な範囲に留まっているものの、一日中撮影するという場面においては予備バッテリーが必須。一眼レフとして考えてみると、バッテリー燃費の決して良いカメラではない。ただし消費バッテリーが多いのならば、予備バッテリーを準備する事によって解決するのであるから、この点は大した問題にはならないものとも言える。
コラム:自然と写真から見える、生き方の教訓。
よくよく自然風景写真の世界で言われる事は「一期一会」であるということ。当然その瞬間は、その時にしか現れないものである。その場所とその時間に居合わせたと言う事だけでも、常に掛け替えの無い巡り合わせに導かれている事になる。自然の光を見ていると、不思議な感覚に陥る。その光と影は、一分一秒と違えば、全く同じ景色にはなら無いであろうからである。
悲しい事に心持ち一つ違えば、好きで取り組んでいるはずの写真において、かえって心の平穏を保てなくなる事がある。そこには時として何かしらに執着している自分が居るのである。予定通りの時間に予定通りの撮れ高。満足のいく写真が撮れているか否か。そうした主観ばかりで物事を見ていると、自然を相手にした時には特に不安定な結果や心情になる事が往々にしてあるのだ。
移り変わり行く光に気を傾け、足元や頭上に目を凝らす。そうすると思い掛けない発見によって、心が震えるような感動に導かれる事がある。それはきっと主観のみに囚われていては、見つからなかったはずの贈り物か何かのように思える。自然というのは、自ずから然り。それを相手とした時には、成るように成るというよりも、成るようにしか成らないというような厳然とした事実がある。
自然に抗わない。これはアラスカ先住民の鉄則であるという。雨が降れば雨宿りし、無理に計画を決行しようとは考えない。少なからずそうした生き方は、最も人間らしく動物らしい生き方なのであろう。そんな心持ちでカメラを向けていると、撮影者の内面が投射される写真にとっても嬉しい事ばかりなのである。
それなのにも関わらず、現実の社会生活においては中々そういう訳にはいかない。往々にして所定の時間に寝食し、勤労する事が日々求められている。こうして恐らくは日常生活において、元来不必要な多くの執着が、あらゆる軋轢を生んでいるであろう事を考えずには居られない。つまり人や組織との関係性も同様に、個々人の主観だけで物事を捉えて執着している時にこそ、葛藤に苛まれるに違いないのである。
喧騒の最中にあっては、本来の広き視野が、豊かな世界が、きっと狭まり、失われ行くはずである。自然の摂理とは一切無関係な事柄に、執拗に固執している事にすら気が付かない事もあったりする。たとえその足下や頭上に、どんなに素晴らしい光景が広がっていたとしても。そんな時ふと立ち止まって辺りを見回し、自然界における鉄則を思い出すことのできる幸運を思う。
それはまさに、写真を通して実感することのできる学びなのである。5D4ならば、そうして訪れた幸運な出会いやチャンスを必ずや捉えてくれる。そんな風に信頼に足るカメラである。時にはあらゆる活動の中で、主体である事よりも、客体としてある事を意識してみるのも好いものである。そうしてきっとまた、良き出会いに導かれていくのであろうから。
ブログ:高度成長、日本を支えた池島炭鉱×5D4。
長崎県は西彼杵半島の先に浮かぶ池島。かつて三井系の炭鉱が栄えたこの街には、多く鉄筋コンクリート造りの集合住宅が立ち並び、ボタ山、立坑、火力発電所、選炭場、シックナー、コンベア、重機などの姿を見る事が出来る。産業燃料や発電燃料として、日本の高度経済成長を支えた石炭。1959年から2002年の閉山まで、多くの労働者の姿がこの場所にあり、何軒ものスナックが立ち並んでいた。
5D4にEF16-35mm F4L IS USMやEF100-400mm F4.5-5.6L IS II USMを装着して撮り歩いた。高いビル群や坑道内で超広角と高感度が役に立つ。船や島には、多くの猫、トンビ、カモメなどの姿もあり、望遠レンズも旅に持ち歩くと動物撮影の際にも利便性が高い。撮り逃したくない街歩きには、ズームレンズという選択肢も好い。