フジフィルムSUPERIA PREMIUM400作例集。鮮やかな写り、歴史ある町並みを撮る。

カメラ

SUPERIA PREMIUMスペリア・プレミアム 400とは、富士フィルムのカラーネガフィルム。個人的には、記憶にある思い出をそのままの形で表現する「記憶色」だと思える。しかも思い出はいつだって、明るく美しいもの。その雰囲気までも落とし込むという意味では、最良のフィルム製品である。ISO400という感度も丁度良く、このネガフィルムさえ持ち歩いていれば、どんな状況でさえ問題にならないという信頼がある。

スペリアプレミアム400の写りは、美しき記憶。

PREMIUM400が写す、あのときの美しい記憶。

ネガフィルムの良さは、雰囲気までも落とし込めるという点である。そしてPREMIUM400の表現性をもってすれば、確実に思い出を形として残すことが出来る。人の目というのは、比較的暗いところから明るいところまでを同時に捉えることが出来る。ネガフィルムの良さは、こうした光や色の諧調を的確に捉えられるラチチュードの広さにある。

美しき思い出を、いつまでも手の中に。

特にこのフィルムは、新技術によって更に許容度が高められている。デジタルカメラで撮影した記念写真を見てみると、まるで別人のように見えたり、こんな顔だったのかと不可思議に思えたりすることもある。フィルム写真では、そのような違和感が極めて少なく、人や場所のポジティブな雰囲気までも描写する。それはまさに目の優れた性質、見たいものを見るという特性をもつ人間の信条までも表現し、美しき思い出として記録するのである。

あの時の思い出を写しとめる、PREMIUM400。

雨の日、雰囲気を捉えてくれる。

PREMIUM400の表現性を鑑みて、いろいろな場面を想定するのは非常に面白い。天気や時間帯、田舎と都会、山や海などあらゆる場面で、どのフィルムを使うかどうか。それは撮影者に委ねられた表現の枠組みなのである。そこで今一度、PREMIUM400の特徴について見てみたい。

きめ細かく美しい高感度フィルム─新設計の感光層の特性によりラチチュードを広げることで露光オーバー時でも色をクリアに再現します。また、ニュースーパーユニフォームファイングレイン技術を採用し、感光効率を高めることで、高感度でありながら優れた粒状性を実現。さらに,日本人の肌色をいきいきと美しく再現し、シャープで鮮やかな色再現を実現します。

FUJIFILM公式HP:http://fujifilmmall.jp/shop/g/g15940592/より引用

さてフィルム写真は、フィルムとレンズによって表現される。その為、この部分の重要性は計り知れない。反対にデジタルの場合には、センサーがフィルムを代替する訳であるから、時にその性能が問題になる。

PREMIUM400と組み合わせる。

ただしフィルムカメラは、フィルムそのものが取り換え可能でフィルムとレンズ、二軸の組み合わせに思索を巡らせ、より好ましい表現を探究できるという醍醐味を持つのである。いつもの当たり前の時間を、またはより特別な時間を、素晴らしきネガフィルムPREMIUM400で表現し保存していたいものである。

記憶に忠実でありながら、心象を反映する。

あの時の思い出を表現する道具。きっと心象までも写し取ってくれているはずだとの信頼感までも備えている。あの美しき情景を再現するには、ある程度の表現性が必要である。ただしそれが記憶に忠実で、打ち壊されることの無い。蛇足であっても決してならない。そんな難しい均衡点を導き出してくれるのが、スペリアプレミアム400というネガフィルムなのである。

その説明として、公式には3つのポイントが記されている。

SUPERIA PREMIUM 400の写り
  • 日本人の肌色をより美しく。
  • 記憶をより色鮮やかに。
  • 大切な思い出を未来に残す。

というもので、まさにこの点において素晴らしく美しい表現性を備えたフィルムである。過大で無用な脚色が無く、誰もが美しいと思える写真に仕上がる。

SUPERIA PREMIUM 400の作例

スペリアプレミアム400の作例は、カメラのキタムラで現像、データ化したもの。様々なフィルム一眼カメラ、コンパクトフィルムカメラで撮影しているが、どのような天候でも美しい記憶のままの写りである。

SUPERIA PREMIUM 400の使い方と外観

ISO400という感度は、晴天であっても雨天であっても、どんな天候にも対応できる点も使いやすい。

だからこそフィルムで撮り、プリントし、アルバムに挟む。そんな風に今一度思い出写真を再定義し直したいものである。勿論、データ化すればスマホでいつだって写真を見返すこともできる。しかもフィルム特有の色彩表現が素晴らしく心地よいのである。

しかもそれだけでなくアナログの記録媒体が手元に残るというだけでも嬉しい。たとえ突然にスマホから写真データが失われたとしても悲壮感に暮れる事はない。その現像されたフィルムを再スキャンすれば良いのだからと心丈夫になれるのである。

レンズとフィルム、二軸の楽しさを探究する。

フィルムの描写と街歩きは非常に相性が良い。より肉眼の印象に近い描写が、思い出を色濃く残し、蘇らせてくれる。フィルム写真は、より内情的な描写をしてくれる。そこで旅行先での散歩にも有益なのである。その場所で、何を感じ何を考えたのか、そこまで写真を通して思い起こさせてくれるものなのである。その体験は、デジタルでは味わえない感動をもたらしてくれるに違いないのである。

フィルムカメラで、見たものを残す。

同じスペリアプレミアム400を装填したとしても、様々なカメラとレンズの組み合わせにより、写りの違いを楽しむ事が出来る。

ニコンF3の作例

一眼レフフィルムカメラ、ニコンF3AI Micro-Nikkor 55mm f/2.8Sで撮影した猫と街角。マニュアルフォーカスで写し取る町並みの風景も非常に面白い。突然の出会い。

コンタックスT3の作例

コンパクトフィルムカメラのコンタックスT3で撮影。焦点距離35mmという画角が、街歩きに丁度良かったりする。カールツァイス社製のレンズが、コントラストと彩色を引き立てる。

ミノルタTC-1の作例

Minolta TC-1で撮影

圧倒的な描写力に定評のあるミノルタのコンパクトフィルムカメラ、TC-1。世界最小級のコンパクトフィルムカメラは、街歩きで大活躍する。焦点距離28mmという広角で写す町並みが良い。

ブログ:PREMIUM400で、港町の鄙びた温泉街を歩く。

日常に疲れた身体を癒すには、やはり喧騒とした都会のスーパー温泉より、地方のひなびた温泉街がやはりそれに相応しい。身も心も慰安するためには、空間を移す必要があるに違いないのである。ふと夜の戸張が落ち、歓楽街としての風情が顔を出す。そんなとき居室の窓を開け、網戸のまま風と音に浸るのも良い。日常を忘れながら、思慮にふける時間が必要だったりするのである。

日奈久の街角を歩く。

さて、肥後・日奈久ひなぐ温泉は自由律俳人として有名な種田山頭火が愛した温泉街の一つである。山頭火は多く鄙びた温泉を句に残したりしている。いざこの場所に訪れてみると、その雰囲気の良さに街角に佇む時間に心地よさを感じるものである。温泉街ならではの余所者が逗留していることに対しての良い意味での無関心、そして時には温かく声をかけて旅行者を迎えてくれるような懐の深さがある。それは絶妙な距離感が保たれた居心地の良さである。

いわゆる湯治という文化は、日本の文化の一つでもある。ここ日奈久温泉も1409年、南北朝時代に菊池氏と阿蘇氏の境界で起こった合戦で、刀傷をいやすために訪れていた武将。その子によって掘り当てられたという伝説が残っている。更に戦国武将の竜造寺氏や島津氏なども訪れ、豊臣秀吉が九州征伐のために使った街道も通る。肥後藩主細川氏は、藩営温泉として整備。こうして昭和の時代まで文字通り戦人の慰安場所としても用いられていた。

かつて蔵の立ち並んだ、日奈久の漁港。

特に心身の衰弱や傷病は、誰しも恐怖や不安に駆られるものである。そして、そうした人々の受け皿として湯治場というものが存在し続けてきた。だからこそ、人間関係もまた彼らに寄り添うもの、支えあうものであり続けているに違いない。上記での居心地の良さも、それらの起因するところも大きい。それは、これまで多くの湯治客を受け入れてきた場所ならではの温かさなのである。

街角には、山頭火の句があちらこちらに記されていた。丸木に記された句が目を引く。大正から昭和の古き良き街並みを眺めながら散策する。この温泉街に宿を借り、近隣を散策する贅沢もあるはずである。そんなときに手にするのは、フィルムカメラがとても似合っている。

明治時代には、全国的に有名な温泉地の一つであった。熊本の温泉地の中では、最も古い歴史を持ってもいる。更には街道沿いの宿場町としても機能し、港湾都市としても中継地として重要な役割を担った。物流の拠点として重宝された日奈久の街。一角には花街も整備されており、歓楽街としての様相も呈していた。

昭和を感じる鏡屋旅館。カフェも併設されている。

華やいだ街であった日奈久は、今ではその面影をわずかばかり残すにとどまっている。交通の要所としての地位なども失い、少しずつ少しずつ過疎化が進んでいる地方の一つである。ただし温泉は今もとても良質である。かつて多くの人々から「どこよりも日奈久」と謳われた温泉そのものの素晴らしさは、今も昔も変わらないのである。

種田山頭火は記す「温泉はよい、ほんとうによい。ここは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、いや一生動きたくないのだが。」と。実際にこの街を歩いてみると、その謂わんとするところが手に取るようにわかる。

日奈久の町並みは、一昔前の安心感を得られる。都市部と異なり、地方は時代の変化も少しばかり緩やかに感じる。一筋の川の流れでいうところ、都市部が激流であるなら、地方部は緩流である。同じ川の流れであるのに、その場所で感じる当たりの強さも異なるような感覚である。実際、町並みもその優しさや朗らかさ、緩やかさを感じるものである。

日奈久の街から見た八代平野と宇土半島。

街の裏手、山手には温泉神社がある。階段を一歩一歩登っていくと奉納用の相撲場、さらに登っていくと境内がある。そこから眺める景色は非常に素晴らしい。梅雨の時期の田んぼには、田植えを終えたばかりの田園が、瑞々しい青色を湛えていた。

ところで、日奈久の街でとくに有名な特産品は竹輪である。明治のころより生産を始め、現在まで多くの人々に親しまれている。民藝品として竹細工も有名な場所。漁港ではあれど、すぐ裏手に山が控えていて近辺で竹が多く取れていた。その竹を用いた手仕事が発展し、特産品としての地位を確立している。

日奈久竹輪。

この地では、ちくわや薩摩揚げをあちらこちらの店舗で購入することが出来る。界隈を散歩していると、名物の日奈久ちくわの文字。出来立てを食べる贅沢を味わうことが出来る。

八代焼、上野窯。

さて、朝鮮出兵の折に渡ってきた陶工たちは九州北部に点在した。小倉藩主であった細川忠興は高名な茶人でもあった。千利休の優れた高弟は、後世にあって利休七哲と呼ばれるようになったが、その中に名を連ねる武将である。上野焼はその忠興が開窯させ、細川氏が肥後に入国した際には、その陶工の一部も肥後の各地に窯を構えた。

肥後藩主となった細川忠利は忠興の息子であり、熊本城に入った。ときに隠居していた細川忠興は、八代城に身を移すこととなった。この地、八代で御用窯として繁栄するのは想像に難い。またその後少しずつ南に移り、日奈久の地で窯が続けられている。白土象嵌とよばれる技法を完成させ、その模様は雅なものがある。ただし柳宗悦氏のいう民藝の枠組みに当てはまるものではない。

この宿は明治43年創業の金波楼である。歴史ある日奈久の街、中でも一際目を引く木造三階建の建屋は圧巻。純和風旅館として現在も営業を続けている。その格式高い内装も素晴らしく美しい。また裏手に庭園があり、その緑が艶やかな木造の廊下に光る。

コラム:ネガフィルムPREMIUM400は、産業遺産。

続々と製造と販売が縮小されていくフィルム群。デジタルカメラの登場によって、フィルムカメラが主流から傍流へと変遷するなかで、そもそもの需要量が独立採算に見合わず多くのフィルム供給会社が経営不振に陥った。コニカやコダックなど、富士フィルムよりも多くのシェアを獲得していた企業も同様の事であった。そんな中で現在も企業の体力を当てにして、写真用フィルムの存続を切望する状況である。

実はその富士フィルムの経営そのものは、会社設立から幾度も危機に見舞われている。1930年代の映画界の日本産フィルムボイコットや海外製品との競争、第二次世界大戦、オイルショックなど。それらを経営努力で乗り越えてきた富士フィルムも踏ん張ってはいるが、次第にフィルムの選択肢は逓減している。SUPERIA PREMIUM 400は、2019年現在でも選択肢として残されている貴重な現代科学技術における産業遺産だったのである。

鄙びた温泉街を巡る。杖立温泉。
虜にする、甘美な色彩。
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このコラムの筆者
ZINEえぬたな

"古典は常に新しい"をモットーとして、相続されるべき普遍的な「価値」を次世代へ継承。

個人で編集するZINEをブログ上で運営。「えぬたな」は一つ一つの記事を読み切りとして編集。自らの写真と文章で、ヒトの思いを伝え、世の中の良いモノ、残すべきコトを紹介。

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