名玉Carl Zeiss Jenaフレクトゴン35mm/f2.4、マクロなM42オールドレンズ。作例と使い方、徹底レビュー。

M42/オールドレンズ

Carl Zeiss Jenaカール・ツァイス・イエナ社において、著名レンズブランドの一つであるFlektogonフレクトゴン。中でも35mmは生産数も比較的多く、入手しやすいモデル。名玉との呼び声も高いオールドレンズだ。優れて扱いやすい焦点距離のレンズでありながら、更に特筆すべき性能として、マクロ域までも撮影可能であるという点が挙げられる。そうして幅広い場面で、無難に用いることが出来るレンズなのである。

因みにこのフレクトゴン35mm/f2.4は、汎用性の高いM42マウント。シルバー筐体きょうたいの前期型、ゼブラ筐体の中期型、黒色筐体の後期型と三型に渡って販売が続けられていた。特に後期型は、1980年頃に生産されたもので、最短撮影距離0.2m、オールドレンズとは思えぬ程の素晴らしい光学性能、マルチコーティングMCが施された事によって優れた逆光耐性を保持する逸品。その精密光学機器然とした見た目もすこぶる格好良い。

Flektogon 35mm/f2.4、光を描く秀逸なる名玉。

Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm/f2.4 MC / Canon EOS 5D mark Ⅳ

このレンズの素晴らしさは、守備範囲が圧倒的に広いという点である。即ち標準域の単焦点レンズであるというのみならず、マクロレンズとしても優れた描写性を確保できる。その際においても35mmという焦点距離は、その画角が無意識に掴みやすく、構図が決めやすい。視野感覚としては、街中を漠然と歩いている感じに近しい。そうして、スナップショットも可。オールドレンズ界においてのゴールデングラブである。

メカメカしく、カッコ良い外観。

レンズそれ自体の大きさも、小ぶりで手に馴染みやすい。しかも軽量で持ち運びやすいのである。首や肩から吊るしたとしても一切負担にならず、歩きを伴うような長時間の撮影においても疲れ知らず。行動範囲を抑制することが無い為、散歩ウォーキング旅行トラベルなど軽快で活動的な場面にも即している。傍目から見ても威圧感は無く、緊張感を与えることも少ない為、撮影に没頭できる点も優れて好ましい。

日常風景を切り取る。

歩きながらカメラを構え、フォーカスリングを回す。そうした行為一つ一つが気持ちよく、そして面白い。ただ扱っているだけで気持ちが高揚していくのが分かる。スナップ写真の何気ない日常の一コマ。その時間を切り取ると、思い出になる。フレクトゴン35mmを装着したカメラ、鞄に入れて持ち歩いていても苦痛になることは無い。ただ忍ばせておくだけで豊かな気持ちになれる。

ベニシジミ♂と、その環境を含める。

フレクトゴン35mm/f2.4は、マクロレンズの入門機としてさえもその真価を発揮できる。比較的広い画角が確保されており、絞り値が開放であっても被写体にピントが合いやすい。そしてマクロ撮影においては、オートフォーカスよりもマニュアルフォーカスの重要性が飛躍的に高まるもの。しかも傑出した表現性を備えているとなれば、たとえ現行の最新レンズを差し置いても、この名玉を手にするという選択肢が、決して失われるべきものでは無い。

ライブビュー撮影、駆使するのも良い。

マクロ表現の良いところは、何処か素敵な場所へ赴かなくとも、自宅の庭やプランター、街路樹などあらゆる身近な宇宙に焦点が当てられるようになる。自らの視点とは異なる視点に時に目を向ける事で、世界の広さを感じる事が出来る。きっとそれは人生に資する、そして狭まった視野と人間性を恢復かいふくする行為となるに違いないのである。

陰影、繊細な光の表現。

ところでカール・ツァイス社といえば、伝統の光学機器メーカーとして不動の地位を築き上げている。ところで実は、レンズの性能を評価する際に用いられる、MTF曲線というものを開発したのも同社であると言われている。これは写りの良さに重要な要素が、解像度だけでなく、コントラストとの兼ね合いであると気づき、それを客観的に示す道具として用いられたものである。

蜜を吸う、ホソヒラタアブを美しく。

カール・ツァイス・イエナ社もその系譜を引き継いでいる事を、このフレクトゴン35mm/f2.4というレンズの存在が、如実に証明してくれているようである。シャープでコントラスト豊かな表現力、緻密に物質や色彩を描き分ける描写性が、眼前に広がる繊細な光のタッチを描き出す。まさに秀逸なる写りなのだ。写真が光の絵である事を実感させてくれる道具として存在しているようだ。

Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm/f2.4

因みにイエナ社は、第二次世界大戦後にドイツが東西に分裂した際、創業の地イエナに残った技術者と施設を使って、半官半民の人民公社として出発した東ドイツの企業である。レンズに表記されているDDRは、東ドイツことドイツ民主共和国を示すもの。カールツァイスの技術が全てソ連に渡ることを恐れたアメリカによって、一足先に一部の技術者と設計図が西側に運ばれた。

東ドイツDDR、アウグスブルクにて。

その西側では、オプス社が設立。その後、ドイツ統合によって、再び合併を果たした経緯がある。このレンズは、逆望遠型と呼ばれる設計方法が用いられたブランド。これを西側においてはディスタゴン、東側においてはフレクトゴンという名称が用いられている事も、ついでに付記しておきたい。

カール・ツァイス・イエナ、優れたレンズ設計と光学技術。

強い光源を前にしても、破綻のない光学性能。

フレクトゴン35mm/f2.4の後期型においてはマルチコーティングが施された事もあって、逆光耐性が著しく優れている。この時代のレンズにおいては、革命的であると言えるほど太陽などの強い光源を前にしても、フレアやゴーストの発生を殆ど考慮する必要がない。しかもマクロレンズとしての価値も併せ持つのであるから、その使い勝手の良さたるや筆舌に尽くしがたい。

その場の雰囲気まで、描き出す。

その滑らかで溶けるようなボケ味と自然な色彩の濃厚さも惹き込まれる所以ゆえんである。様々な撮影環境に対応出来る守備範囲は、非常に広いと同時に写真の出来栄えという点において、アベレージヒッターである事も間違いない。

前景ボケをいれて。

素晴らしい環境。出会い。その場の雰囲気を説明しようとすると案外難しい。そんなときでも、好いと思った瞬間をこのレンズで切り取ると、何となくその時の感動を少しでも残すことが出来るように思える。前景を含めた写真、何となく好きだった場所の雰囲気を残す。難しく考えることなく、そのまま撮影しても、ただただ好印象に捉えてくれているように感じられる。

夕刻に照らされる草原、濃厚に描写する。

時に予想を上回るような絵を描き出す素晴らしさを鑑みれば、さながらホームランバッターという事も出来るであろう優れたレンズ。つまり、優れて高い水準の万能さを保ったオールドレンズなのである。撮影するときの操作感も相俟って、その瞬間をポジティブな感情のままに記憶する事が出来る名品。

フィルムとフレクトゴン35mm/f2.4、道具としての存在。

ネガフィルム。豊かな表現力、緻密な描写性。

勿論、それはデジタルでの撮影のみに言える事ではない。寧ろその真価を発揮させんとするならば、フィルムを用いて撮影したいものである。時にその表現力に目を奪われる。それは芸術的な表現というだけでなく、記録的な思い出を残すような道具としても、記憶を丁寧に描写してくれる。写真を見返せば、脳の片隅に埋もれていた朧げなものが、情景や空気感も含めて呼び覚まされる。

その空気感までも、見事に落とし込んでいる。

特にネガフィルムで撮影すると、見返した時にはその場の環境のみならず、まるでその時の内情までも露出されているような気持ちになるのである。勿論ネガフィルム特有の明暗を同時に写し込めるという性質、ラティチュードの広さが大いに影響しているのであろう。同時にホワイトバランスに影響されすぎず、色彩も丁寧に描き分けてくれる。そうした繊細な表現にも心を揺さぶられるもの。

丁寧に、記憶を呼び覚ます。

上記3枚のネガフィルム写真はいずれも、レンズがフレクトゴン35mm/f2.4とフィルムにPREMIUM400を使用。現像とデータ化は、旅の終わりにカメラのキタムラで依頼したもの。雨がひとしきり降っており、辺りの山々には低く雲が引っかかっていた。そうした湿っぽい空気感や光加減をしっかりと描写してくれている。あの時の記憶に忠実な表現。レンズとフィルムの組み合わせを純粋に楽しめるのもい。

Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm/f2.4 MCの作例

カール・ツァイス・イエナFlektogon35mm/f2.4の外観と使い方

EOS7sに、フレクトゴン35mmを装着。

付属するレンズキャップは、ギミックなく伝統的な嵌め込むだけの単純なものが使われている。レンズに記載されたDDRの文字は、東ドイツを意味するもの。そのメカメカしく優れてカッコ良く、また溜息が出るような美しい形状。まさにドイツとソ連デザインの融合、真骨頂とも言える。

優れた工業デザイン、優れた道具で、撮る。

レンズのフィルター径は、φ49mmであるから別途レンズキャップを用意するのも良い。その場合、やはり似合うのはCarl Zeiss社純正であろうか。

ピントの操作、絞りの変更方法。

絞りリングには、平目ローレットが施されており安定して操作が可能。回転させると、カリッカリッとクリック感がある。任意の絞り値で留めたい場合にでも、非常に操作し易い。

絞り環を、操作する。

またピントリングは少し幅広で、四角目ローレットが施されている。絞り環とピント環に異なる金属加工が施されている事で、何も目視する事なくリングを認識することが可能になっている。

ピント環を、操作する。

マニュアルフォーカスレンズよろしく、ピントを追い込む作業が非常に心地よい。滑らかな操作感に意匠と拘りを感じることができるのもポイントである。光学機器としての精密さと同時に無骨さを感じることが出来る。そんな見た目の良さにも、感嘆するところである。

M42スクリューマウント、レンズ装着の仕方。

本体に、回転させながらねじ込む。

M42マウントの場合、ねじ式であるから。止まる位置まで回転させるだけで装着する事ができる。非常に単純な設計であるから、分かりやすい。スクリュー溝のついた容器の蓋を閉める要領である。

マウントアダプターを介する方法。

マウントアダプターを介する事で、最新のカメラにも装着可能。ただし一部機種においては、ミラーが干渉してしまう為に使用できない場合もある事に留意したい。EOS5DmarkⅣなどでは使用可能。同じEOSシステムでもフィルムカメラEOS-1Vでは、ミラー干渉の為に使用できない。ただしEOS7sでは使用可能であった。相性があるというのは、この手の機器においてはご愛嬌。

レビュー:フレクトゴン35mmの万能性は、偉大。

スナップが、好きになる。

M42マウントのオールドレンズで、カール・ツァイス・イエナ社のフレクトゴン35mmは名玉として名高い。パンカラー50mmなどと並んで、同社を代表する様な短焦点レンズである。その写りには勿論のこと定評があり、現代的ながらツァイスらしい美しい表現は、誰もが魅了されること間違いない。マルチコーティングが施されたものは、優れた逆光耐性を兼ねており、現代のレンズと遜色なく使い勝手に優れた優等生オールドレンズという事ができる。

心地の良いボケ感。

スナップにおいてもボケ感が気持ちの良い立体感を生み出す。35mm/F2.4という光学性能であるから、ボケや明るさも控えめ。しかしながら、開放でのスナップ写真は気持ちがいい。街でのふとした出会いを切り取るには、十二分の性能である。

フレクトゴン35mm/f2.4の特に優れたポイント

眼前の風景を切り取るに最適。

中でもフレクトゴン35mmの良いところは、最短撮影距離20cmと驚異的に寄った撮影が可能である点が挙げられる。レンズの製品名にマクロやマイクロという表現は無いにも関わらず、マクロレンズ同等の撮影倍率を保持して居るのである。

多くのシーンに対応できる。

この事によって担保された、通常の撮影シーンを網羅する守備範囲の広さ。この事が、多くの人々からこのレンズが支持される理由ともなって居るのである。35mmという画角であるから、ど標準とされる50mmよりも若干の広角。肉眼で見た状況よりもほんの少しだけ説明的な画角という事になる。ともすれば、撮影者本人が五感を使って知りうる他の状況も若干含めて撮影する事が出来る。

小型軽量、山岳写真にも。

捨象するべき部分を省略し、または説明すべきところを残す。そうして、丁度良い塩梅の画角を保ったまま、写真に収める事が出来る。そして、単焦点のマニュアルフォーカスレンズである事によって、かなり軽量で小型なのだ。こうした利点を総合するに、旅行や日常などをスナップするのにも最高の相棒になりうる。

いつでもどこでも、フレクトゴン。

旅行や日常といえば、テーブルを囲んだシーンというのも欠かす事の出来ない部分であったりする。そんな時にでも、マクロ領域まで撮影可能でありながら、それでいてF2.4という比較的明るさが担保されて居る事は、この分野においても利便性が高い。テーブル向かいの人物のポートレートなどに際しても、その活躍が期待できる優秀なレンズなのである。

フレクトゴン35mm/f2.4の苦手とするところ

オールドレンズを片手に。

やはりオールドレンズであることを考えると、このレンズは現代のレンズと遜色のない写りをする。いや、してしまうとも言える。個性を爆発させたいと考える人にとっては、クセっ気が無く、その様な需要を満たせない部分であろうかと思える。

手のひらサイズで、扱いやすい。

またやはり細かい粉塵が舞う場所や激しい雨に打たれる場合には、注意を要する。少しばかり濡れるのには、大した問題にはならないであろうが、最新鋭レンズにおける防塵防滴性能の様なものが、担保されて居る訳ではない事には留意したいところ。

コラム:コントラストと自然美の妙。

フレクトゴン35mmを用いていると、色彩や陰影に大いに美しさを見出すことが出来る。美しさを規定する要素の一つであるコントラストであるが、その定義としては、対比であり、差異であるという。それは、芸術においては欠かす事のできない要素。写真表現においても同様に、静と動、黒と白、光と陰など、それは重要なものとして位置付けられる。

よくよく考えてみると、この様なコントラストは自然に存在する凡ゆる事柄において見て取れる物である。これまでも著名な作家や芸術家は、その概念を特に理解して用いている。例えば、古典的名作として著名なミュージカルとして、ユゴーのレ・ミゼラブル。そうしたシナリオにおいては、素晴らしいコントラストの世界が広がっているのである。

正義と悪、貧しさと豊かさ、反乱と官憲、戦争と平和、愛と憎しみ、昼と夜、夏と冬、喜びと悲しみ、男と女、結婚と売春、大人と子供など挙げればきりがないほどである。こうした差異は、著しく明らかであればあるほど、そこには美しさや芸術性が宿り得るようである。その様な理解の上で、自然に目を移してみれば、そもそもその存在自体が美しいという概念、コントラストそのものなのである。

日本の自然について考えてみるとする。そこには粘度の高い溶岩を持つ活火山が幾つも存在、いつ噴火するとも知れぬ様な山の麓では、素晴らしい温泉地が広がっている。自噴する温泉地は多く谷間に存在し、傍らには急勾配ながら美しい清流が流れている。またその水源地には、豊かな土壌と山林が広がっており、枯れる事無く、大量の地下水が湧き出ていたりする。それによって田畑は潤う。

そんな大量の地下水は、年間降水量が一定でありながら豊富な雨水が由来となっている。毎年の梅雨時、ヒマラヤから来たる雲が梅雨時に線上に広がる。一定期間集中的に降り続いた場所では、河川の氾濫が起こり得る。それもまた急峻な山岳地形によって、雲が滞留し降雨を促すもの。それによって低地から高山にかけて、豊かな植生が育まれる。

草木の堆積した養分は、河川を下って海へ流れ出る。流れ出た養分によって、微生物や植生が豊かになる。更に食物連鎖によって多くの動物たちの暮らしが支えられ、または人間の暮らしも豊かな実りが齎される。しかし、有機物が多くなりすぎたりバランスの崩れた場所では、赤潮などの被害が発生する。

山岳を作り上げるプレートの境目であることで、地震や津波とも隣り合わせ。造山活動によって盛り上がった山々が、勢いよく流れ落ちる河川によって削られ、沈下して出来上がる様なリアス式海岸。豊かな漁場を形成するが、洪水や津波の被害は大きくなる可能性も高い。

兎に角にも、その様に考えてみれば、日本の自然からもたらされる豊かな恩恵は、同時にその災害の多さとも比例している様である。時として、我々は自然からの恵みについては有り難がり、災害を忌み嫌うところである。しかし、よくよく考えてみると、それは表裏一体の関係にあるもの。だからこそ、コントラスト豊かな日本の自然は、やっぱり美しいという事もできる。

そんな自然を余す事なく、そのままコントラスト豊かに切り取ることが出来れば尚のこと良い。フレクトゴン35mmならば、きっとその任を全うすることの叶う力量を備えている。美しくも厳しい自然の姿を、色彩と陰影のコントラストも豊かに、ミクロとマクロの両面から捉えて表現する事のできるレンズなのだから。

ブログ:フレクトゴン35mmで歩く、日本の山。山岳写真。

現行レンズと比して、総じてオールドレンズの優れたるところは、性能と機構が単純である分に軽量であるところである。荷物を可能な限り減らしたい旅行というのでもその活躍は見込めるけれど、もっと軽やかな荷物で纏めておきたい山歩きならば、その恩恵の素晴らしさに感激するところである。マニュアルフォーカスレンズとミラーレス一眼の組み合わせならば、更に軽量になることは間違いないし、ピーキング機能などで互いの持ち味を存分に味わうことが出来る。

フレクトゴン35mmとEOS R5の組み合わせ。このタッグによって、非常に軽やかな山岳写真スタイルが完成した。望遠レンズも持って行っていたが、ほとんど使わなかったことを考えれば、35mmという画角は山岳写真においても丁度良いようである。迫力ある足下を入れながら、遠景の見晴らしも同時に収める事が出来る。カールツァイスの表現力が、美しい日本の山を捉える。ただ急な雨には注意が必要であろうが、そんなときには鞄にすぐに仕舞い込んでしまえばよいのである。

カメラを持つという意味、レンズを交換するという意味。

昨今、カメラ市場の動向は堅調とは言い難い。寧ろ斜陽産業の一つになりかけていると言っても過言ではない。日本においては大企業の象徴、世界を牽引してきた日本のカメラ産業も、この潮流には抗えそうにもない。何と言っても、スチル撮影でカメラを持つ意味自体が薄れてきているのだから。スマホの台頭は技術革新の一幕であって、世の中の大多数の需要を満たすものである。

iphoneXで撮影、JPEG無補正。

写真を手軽で奇麗に撮れるという意味では、スマホに勝るプロダクトは今のところないようである。例えば上記のように山に登るという事を考えてみると、わざわざ重いカメラを携える必要性は益々薄れてしまうというものである。それでも、マニュアルフォーカスのオールドレンズを携えてみると、その特有の面白さを感じるところである。

EOS R5×Flektogon 35mm/f2.4

カメラを構えて撮るという行為自体が奢侈的な意味を持った現代だからこそ、かえって十二分にカメラそのものの存在価値を認識する事が出来るのである。意思を持ってレンズを交換するという行為、そしてそのレンズを選択するという行為、それらが全て機械に撮らされている写真では無くして、機械を操作して撮るという意義へと昇華されていくような。

自分の足で山に入り、それを登る。自分の意思でカメラを構え、写真を撮る。そうしていると心が高揚していくのが分かる。清々しく、気持ちが良い。すべての事から解放されていくような、発散されていくような心持ち。そして反対にその空間が、満たされていくような充足を共に得る。それはまさに幸福のひと時。

このコラムの筆者
ZINEえぬたな

株式投資の経験を赤裸々に綴った「新NISAにゃん株式ブログ」を更新中。休日は自然や古い町並みを歩き、スナップや風景写真を撮ってます。

株初心者として新NISAで日本株式を中心に熱中。民藝や郷土玩具、縁起物も好きで、オリジナル張り子招き猫・NISAにゃんを作って株ライフ生活の成功を祈願。

その他に"古典は常に新しい"をモットーとして、決して流行に左右されない厳選したあらゆるジャンルにおける定番名品を徹底解説するレビューもしてます。

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